フリーランスラーメン職人次郎の飛田物語『シーズン2』
俺はラーメン職人の二郎。
18で北の故郷(くに)を飛び出して、気づけば「三郎ラーメン」の弟子入り。
もっと広い世界が見たくて、師匠に頭下げてフリーランスラーメン職人として活動を始めたんだ。
そんなおり、大阪にえげつないほど上手いストレート麺を作るで有名な麺職人の「バンジョー」師匠と出会った。
これは俺とバンジョー師匠の、愉快痛快、飛田物語である。
ー世界は広い。
俺はそれまで「三郎ラーメン」の師匠が世界の全てだと思っていた。
いざ世の中に打って出てみると、自分がいかに蛙だったかってことが沁みる。
バンジョー師匠は言う。
「君はまず大阪の遊び知らなあかん。」
最初は何を言っているか分からなかったが、今はこう思う。
「それがあかんねん!」と。
さあ今この手で世界に打って出よう。
この物語は、第2夜から始まる。
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フリーランスラーメン職人にとって土日の営業は死活問題だ。
僕が箱借りしているその飲食店は週に一度、餃子屋だ。
小金持ちなオーナーが趣味の範囲で週に1回、火曜日だけ餃子屋をやっている。
それ以外の曜日を俺が使わせてもらってる段取りだ。
「来週の月曜、篤山製麺のセミナーあるで。あっさりベースに合う、手打ち極細麺のセミナーや。くるか?朝ラーメンのイノベーター的存在やで。その前日は、飛田新地で前夜祭や。」
俺は二つ返事で大阪行きを決め、こだま新幹線の指定席チケットを取った。
日曜の昼。
月曜の時点で、自分のラーメンを欲する腹ペコキッズ達に臨休の旨をLINEで知らせ、僕は大阪に向かった。(と言っても、固定客は片手で収まるのだが。)
「世の中に求められるラーメンはどんなラーメンか」
まるで答えの無い無限ループに、自問自答すればするほど、1日のスピードは早い。
その意味ではこだま新幹線は俺にとっては格好の「思考の場」だったのである。
指定席にこだわるのもその理由からだ。
片道4時間の道の半分を結局うたた寝に使い、新大阪からそのまま、なかもずへ向かう。
午後16:00。
「麺屋天詩音(テンション)」
オープン後たった2.5時間でスープ切れならぬ、麺切れになる超人気店だ。
いつもながらに、仕込みに入らせてもらった。
バ「二郎、この前君が打ってくれた麺やけどな。お客に好評やったで。あの日の顧客全リピートしとる。」
バンジョー師匠は鉈(なた)を持ちながら語ってくれた。
この麺屋天詩音は世界的にも珍しい、麺の裁断には麺きり包丁ではなく、特注の鉈を使う。
一歩間違えれば指を持ってかれることもある。
毎日がしのぎあいだ。
そんな俺もインスパイアされ、特性の鉈を合羽橋で取り寄せたばかりだった。
バンジョー師匠は道具1つとってもそうだし、麺の素材の産地、どこの誰が生産しているか、季節によっての取り寄せ先、全てをこだわり抜いていた。
ハデなことは1つもやらない。
ただ、当たり前のことを当たり前に、妥協なく仕事しているのだ。
その日も予定どおり、17:30のオープンから2時間半で麺が無くなった。
天詩音はラーメン屋にも関わらず、とても中性的な店構えで、しかしながら店主含め4人のスタッフは皆それぞれ
「プロ」「セミプロ」「アマ」
と書かれた黒のTシャツを身に纏っている。
そのギャップときたら例えのしようがない。
そしてそんなギャップからか、何故か可愛いお客様がめちゃめちゃ多いのだ。
しかしバンジョー師匠はまるで
《ブスでも相手にしているかのような》雰囲気で、わかめちゃんレベルのミニスカで、叶姉妹みたいな乳房を揺らした美女が来店しても、下心なんかおくびにも出さず、淡々とお椀に向かっている。
僕はまだ《セミアマ》という序列が謎過ぎるTシャツを着せられていたが、美女を目の前にし「この白Tの胸元にお水こぼそうか」本気で悩んでたくらいだった。
だからこそセミアマなんだと思う。
閉店後もう1人、東京でフリーランスラーメン職人を名乗る東山(ひがしやま)さんが現れた。
この人は見るからに、ただ遊びに来ただけだった。
案の定次の日のセミナーでは、周りの目なんてお構い無しにずっとパズドラをやっていたのだ。
飛田が本番でセミナーなんておまけくらいに思っていたのだろう。
バンジョー師匠は見た目に似合わず、ダイハツのミラに乗っていた。
きっと《ギャップ》を誰よりも大事にする人なんだと思う。
僕は超速でシャワーを浴び、いざ西成区へ向かう。
つづく。